編集長の今月のコメント(2011年6月)

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編集長 川尻多加志

今月号の特集では、フレキシブル有機薄膜太陽電池に焦点をあててみました。軽量で安価、柔軟性に富み、大面積化も可能な有機薄膜太陽電池は変換効率10%の実現も近いと言われ、さらにその先を目指した研究・開発が内外において活発に行なわれています。
特集を企画していただいた京都大学・エネルギー理工学研究所の吉川暹特任教授と各ご執筆者の皆様方、お忙しい中いろいろご尽力を賜りまして、誠に有り難うございました。
日本はロボット大国。製造現場での産業用ロボットはもはや当たり前ですし、近年ニュース等では、二足歩行ができ、ダンスを踊ったり、楽器を奏でたり、そんな人間型ロボットが注目を集め「実用化も間近」といった印象を与えました。
ですから、東日本大震災で事故を起こした福島第1原発の建屋内に投入されたロボットが日本製でなく、米国製だったという点に首をかしげた方も多かったのではないでしょうか。「日本のロボットはどうしたんだ」そんな声が聞こえてきます。
実は、スリーマイル島原発の事故の後の1983年からスタートした原発点検用ロボット開発や1999年のJCO臨界事故後にもロボット開発が実施されたのですが、何れの計画も打ち切られ、実用化には至らなかったそうです。開発が遅れた背景には、日本の原発は世界で一番安全という安全神話があったとも言われています。
そんな中、日本製ロボットのニュースが伝わって来ました。千葉工大と東北大の開発した探査ロボット「Quince」が福島第1原発に投入される見込みで、宮城県亘理町の港湾では、東工大の潜水ロボットが行方不明者の捜索を実施しました。日本原子力研究開発機構も既存のロボットを改造、がれき除去や放射線量計測で投入される見込みです。頑張れ日本のロボット。
5月1日付けの読売新聞「ビタミンBOOK」欄で評論家の片山杜秀氏が「責任政治家は今いずこ」と題し、興味深いコラムを書かれていたので、引用させていただきます。
ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーは自身の講演録である著書「職業としての政治」の中で、政治家を官僚的政治家、弁護士的政治家、ボス的政治家、心情政治家、責任政治家の五つのタイプに分けています。
それぞれを簡単に説明しますと、官僚的政治家は専門知識を持っていて与えられた仕事は的確にこなすのですが、自分で問題を発見するのが苦手、専門用語しか話せないので、国民に分かりやすく語ることができません。弁護士的政治家は、弁が立ち国民に説明もできるので人気は取れるのですが、黒を白と言いくるめることもできます。ボス的政治家は、全く主義を持たずに票集めのことしか考えません。
心情政治家は、自らの主義主張を絶対化して頑張り続け「純粋な心情から発した行為の結果が悪ければ、その責任は行為者にではなく、世間の方に」あると信じる「ロマンチックな感動に酔いしれた法螺吹き」。
一方、責任政治家は責任倫理に従って行為の結果が悪ければ全責任は自分にあるとして、自らを客観化したうえで決断できる。これこそが真の政治家になりうるとしています。マックス・ウェーバーの講演が行なわれたのは1919年だそうです。

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